今、私たちが生きている、この時代。
ある意味、戦国時代よりも、はるかに「乱世」だ。
※ ※ ※
日本中が、群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)し、
天下統一のために戦(いくさ)をくり広げていた戦国時代、
誰もが明日はわが身か」と、死を覚悟していた。
まさに、命は風前(ふうぜん)の灯(ともしび)の如き時代だった。
しかし、そんな戦乱の世がもたらす賜物(たまもの)もあった。
人々は、自らの夢や希望を、一国の武将の背中に見た。
個人の自由な意志や、生き方が叶(かな)わなかったからこそ、
主(あるじ)の志(こころざし)に、自らを重ね合わせていたのである。
単に生きるだけでは意味がない。
どう生きるか(生きざま)が肝心(かんじん)だった。
それが「大義」を生み、
武将に「大愛」を抱(いだ)かせた。
「大愛」を抱(いだ)く武将に、「大義」をもって、生きることは、
さぞ、(バクティ・ヨーガ的な)'心の平安'を感じたことだろう。
'心の平安''を獲得できた者は、
幸福と歓喜に満たされる。
「本当の幸せ」は、ココにある。
"しじゅう、戦(いくさ)ばかりで心の休まる時もなし、これのどこが幸せなんだ?"
と、思う人もいるかもしれない。
確かに、悲惨だし、日々、死は隣り合わせで、生きた心地もしなかっただろう。
しかし、幸せかどうかは、本人の心が決めるもの。
「大義に生きれられて、戦(いくさ)で命を落とせるなら本望だ!」
と、本気で思える人も多かっただろう。
誰が、どう、評価しようと、関係ない。
自らが大義を掲(かか)げた、その先に、主(あるじ)の大愛を感じられたからこそ、
命をも捧げる、覚悟・ハラが決められたのだろう。
きっと、その瞬間、その者の心には歓喜が降り注いでいたはず。
まさに、「大義」は、戦乱の世の賜物(たまもの)。
かたや現代は、戦国時代より遥かに進歩発展し、
一見して、人は皆、幸せそうに見えるけれど、
日に日に、「大義」が忘却のかなたへと、追いやられている。
それを私は肌で感じているのだが、
いっけん幸せそうに見える現代人の、実のところの、不幸せであるのは、
そのせいではないのか。
時代がどれほど進歩発展し、成熟したからとて、それが、
'心の平安''をもたらしてくれるわけではない。
重要なのは、いつだって、心の在(あ)り方である。
今、私たちが生きているこの時代に、
徳高き武将(あるじ)が存在すれば、かの時代よりも、はるかに大義に生きられるはずだ。
そう、だからこそ、
グレイトティーチャーはココに存在している。
以上
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